每天阅读十分钟(3)----黑猫 Edgar Allan Poe
そしていまこそ私は実に単なる人間の惨(みじ)めさ以上に惨めであった。一匹の畜生が――その仲間の奴(やつ)を私は傲然(ごうぜん)と殺してやったのだ――一匹の畜生が私に――いと高き神の像(かたち)に象(かたど)って造られた人間である私に――かくも多くの堪えがたい苦痛を与えるとは! ああ! 昼も夜も私はもう安息の恩恵というものを知らなくなった! 昼間はかの動物がちょっとも私を一人にしておかなかった。夜には、私は言いようもなく恐ろしい夢から毎時間ぎょっとして目覚めると、そいつの熱い息が自分の顔にかかり、そのどっしりした重さが――私には払い落す力のない悪魔の化身が――いつもいつも私の心臓の上に圧(お)しかかっているのだった!
こういった呵責(かしゃく)に押しつけられて、私のうちに少しばかり残っていた善も敗北してしまった。邪悪な考えが私の唯一の友となった、――もっとも暗黒な、もっとも邪悪な考えが。私のいつもの気むずかしい気質はますますつのって、あらゆる物やあらゆる人を憎むようになった。そして、いまでは幾度もとつぜんに起るおさえられぬ激怒の発作に盲目的に身をまかせたのだが、なんの苦情も言わない私の妻は、ああ! それを誰よりもいつもひどく受けながら、辛抱づよく我慢したのだった。
ある日、妻はなにかの家の用事で、貧乏のために私たちが仕方なく住んでいた古い穴蔵のなかへ、私と一緒に降りてきた。猫もその急な階段を私のあとへついて降りてきたが、もう少しのことで私を真っ逆さまに突き落そうとしたので、私はかっと激怒した。怒りのあまり、これまで自分の手を止めていたあの子供らしい怖さも忘れて、斧(おの)を振り上げ、その動物をめがけて一撃に打ち下ろそうとした。それを自分の思ったとおりに打ち下ろしたなら、もちろん、猫は即座に死んでしまったろう。が、その一撃は妻の手でさえぎられた。この邪魔立てに悪鬼以上の憤怒に駆られて、私は妻につかまれている腕をひき放し、斧を彼女の脳天に打ちこんだ。彼女は呻(うめ)き声もたてずに、その場で倒れて死んでしまった。
この恐ろしい殺人をやってしまうと、私はすぐに、きわめて慎重に、死体を隠す仕事に取りかかった。昼でも夜でも、近所の人々の目にとまる恐れなしには、それを家から運び去ることができないということは、私にはわかっていた。いろいろの計画が心に浮んだ。あるときは死骸を細かく切って火で焼いてしまおうと考えた。またあるときには穴蔵の床にそれを埋める穴を掘ろうと決心した。さらにまた、庭の井戸のなかへ投げこもうかとも――商品のように箱のなかへ入れて普通やるように荷造りして、運搬人に家から持ち出させようかとも、考えてみた。最後に、これらのどれよりもずっといいと思われる工夫を考えついた。中世紀の僧侶(そうりょ)たちが彼らの犠牲者を壁に塗りこんだと伝えられているように――それを穴蔵の壁に塗りこむことに決めたのだ。
そういった目的にはその穴蔵はたいへん適していた。そこの壁はぞんざいにできていたし、近ごろ粗い漆喰を一面に塗られたばかりで、空気が湿っているためにその漆喰が固まっていないのだった。その上に、一方の壁には、穴蔵の他のところと同じようにしてある、見せかけだけの煙突か暖炉のためにできた、突き出た一カ所があった。ここの煉瓦(れんが)を取りのけて、死骸を押しこみ、誰の目にもなに一つ怪しいことの見つからないように、前のとおりにすっかり壁を塗り潰(つぶ)すことは、造作なくできるにちがいない、と私は思った。
そしてこの予想ははずれなかった。鉄梃(かなてこ)を使って私はたやすく煉瓦を動かし、内側の壁に死体を注意深く寄せかけると、その位置に支えておきながら、大した苦もなく全体をもとのとおりに積み直した。できるかぎりの用心をして膠泥(モルタル)と、砂と、毛髪とを手に入れると、前のと区別のつけられない漆喰をこしらえ、それで新しい煉瓦細工の上をとても念入りに塗った。仕上げてしまうと、万事がうまくいったのに満足した。壁には手を加えたような様子が少しも見えなかった。床の上の屑(くず)はごく注意して拾い上げた。私は得意になってあたりを見まわして、こう独言(ひとりごと)を言った。――「さあ、これで少なくとも今度だけは己(おれ)の骨折りも無駄(むだ)じゃなかったぞ」
次に私のやることは、かくまでの不幸の原因であったあの獣を捜すことであった。とうとう私はそれを殺してやろうと堅く決心していたからである。そのときそいつに出会うことができたなら、そいつの命はないに決っていた。が、そのずるい動物は私のさっきの怒りのはげしさにびっくりしたらしく、私がいまの気分でいるところへは姿を見せるのを控えているようであった。その厭でたまらない生きものがいなくなったために私の胸に生じた、深い、この上なく幸福な、安堵(あんど)の感じは、記述することも、想像することもできないくらいである。猫はその夜じゅう姿をあらわさなかった。――で、そのために、あの猫を家へ連れてきて以来、少なくとも一晩だけは、私はぐっすりと安らかに眠った。そうだ、魂に人殺しの重荷を負いながらも眠ったのだ!
二日目も過ぎ三日目も過ぎたが、それでもまだ私の呵責者は出てこなかった。もう一度私は自由な人間として呼吸した。あの怪物は永久にこの屋内から逃げ去ってしまったのだ! 私はもうあいつを見ることはないのだ! 私の幸福はこの上もなかった! 自分の凶行の罪はほとんど私を不安にさせなかった。二、三の訊問(じんもん)は受けたが、それには造作なく答えた。家宅捜索さえ一度行われた、――が無論なにも発見されるはずがなかった。私は自分の未来の幸運を確実だと思った。
殺人をしてから四日目に、まったく思いがけなく、一隊の警官が家へやって来て、ふたたび屋内を厳重に調べにかかった。けれども、自分の隠匿(いんとく)の場所はわかるはずがないと思って、私はちっともどぎまぎしなかった。警官は私に彼らの捜索について来いと命じた。彼らはすみずみまでも残るくまなく捜した。とうとう、三度目か四度目に穴蔵へ降りて行った。私は体の筋一つ動かさなかった。私の心臓は罪もなくて眠っている人の心臓のように穏やかに鼓動していた。私は穴蔵を端から端へと歩いた。腕を胸の上で組み、あちこち悠々(ゆうゆう)と歩きまわった。警官はすっかり満足して、引き揚げようとした。私の心の歓喜は抑えきれないくらい強かった。私は、凱歌(がいか)のつもりでたった一言でも言ってやり、また自分の潔白を彼らに確かな上にも確かにしてやりたくてたまらなかった。
「皆さん」と、とうとう私は、一行が階投をのぼりかけたときに、言った。「お疑いが晴れたことをわたしは嬉(うれ)しく思います。皆さん方のご健康を祈り、それからも少し礼儀を重んぜられんことを望みます。ときに、皆さん、これは――これはなかなかよくできている家ですぜ」〔なにかをすらすら言いたいはげしい欲望を感じて、私は自分の口にしていることがほとんどわからなかった〕――「すてきによくできている家だと言っていいでしょうな。この壁は――お帰りですか? 皆さん――この壁はがんじょうにこしらえてありますよ」そう言って、ただ気違いじみた空威張(からいば)りから、手にした杖(つえ)で、ちょうど愛妻の死骸が内側に立っている部分の煉瓦細工を、強くたたいた。
だが、神よ、魔王の牙(きば)より私を護(まも)りまた救いたまえ! 私の打った音の反響が鎮(しず)まるか鎮まらぬかに、その墓のなかから一つの声が私に答えたのであった! ――初めは、子供の啜(すす)り泣きのように、なにかで包まれたような、きれぎれな叫び声であったが、それから急に高まって、まったく異様な、人間のものではない、一つの長い、高い、連続した金切声となり、――地獄に墜(お)ちてもだえ苦しむ者と、地獄に墜(おと)して喜ぶ悪魔との咽喉(のど)から一緒になって、ただ地獄からだけ聞えてくるものと思われるような、なかば恐怖の、なかば勝利の、号泣――慟哭(どうこく)するような悲鳴――となった。
私自身の気持は語るも愚かである。気が遠くなって、私は反対の側の壁へとよろめいた。一瞬間、階段の上にいた一行は、極度の恐怖と畏懼(いく)とのために、じっと立ち止った。次の瞬間には、幾本かの逞(たくま)しい腕が壁をせっせとくずしていた。壁はそっくり落ちた。もうひどく腐爛(ふらん)して血魂が固まりついている死骸が、そこにいた人々の眼前にすっくと立った。その頭の上に、赤い口を大きくあけ、爛々たる片眼(かため)を光らせて、あのいまわしい獣が坐(すわ)っていた。そいつの奸策(かんさく)が私をおびきこんで人殺しをさせ、そいつのたてた声が私を絞刑吏に引渡したのだ。その怪物を私はその墓のなかへ塗りこめておいたのだった!
こういった呵責(かしゃく)に押しつけられて、私のうちに少しばかり残っていた善も敗北してしまった。邪悪な考えが私の唯一の友となった、――もっとも暗黒な、もっとも邪悪な考えが。私のいつもの気むずかしい気質はますますつのって、あらゆる物やあらゆる人を憎むようになった。そして、いまでは幾度もとつぜんに起るおさえられぬ激怒の発作に盲目的に身をまかせたのだが、なんの苦情も言わない私の妻は、ああ! それを誰よりもいつもひどく受けながら、辛抱づよく我慢したのだった。
ある日、妻はなにかの家の用事で、貧乏のために私たちが仕方なく住んでいた古い穴蔵のなかへ、私と一緒に降りてきた。猫もその急な階段を私のあとへついて降りてきたが、もう少しのことで私を真っ逆さまに突き落そうとしたので、私はかっと激怒した。怒りのあまり、これまで自分の手を止めていたあの子供らしい怖さも忘れて、斧(おの)を振り上げ、その動物をめがけて一撃に打ち下ろそうとした。それを自分の思ったとおりに打ち下ろしたなら、もちろん、猫は即座に死んでしまったろう。が、その一撃は妻の手でさえぎられた。この邪魔立てに悪鬼以上の憤怒に駆られて、私は妻につかまれている腕をひき放し、斧を彼女の脳天に打ちこんだ。彼女は呻(うめ)き声もたてずに、その場で倒れて死んでしまった。
この恐ろしい殺人をやってしまうと、私はすぐに、きわめて慎重に、死体を隠す仕事に取りかかった。昼でも夜でも、近所の人々の目にとまる恐れなしには、それを家から運び去ることができないということは、私にはわかっていた。いろいろの計画が心に浮んだ。あるときは死骸を細かく切って火で焼いてしまおうと考えた。またあるときには穴蔵の床にそれを埋める穴を掘ろうと決心した。さらにまた、庭の井戸のなかへ投げこもうかとも――商品のように箱のなかへ入れて普通やるように荷造りして、運搬人に家から持ち出させようかとも、考えてみた。最後に、これらのどれよりもずっといいと思われる工夫を考えついた。中世紀の僧侶(そうりょ)たちが彼らの犠牲者を壁に塗りこんだと伝えられているように――それを穴蔵の壁に塗りこむことに決めたのだ。
そういった目的にはその穴蔵はたいへん適していた。そこの壁はぞんざいにできていたし、近ごろ粗い漆喰を一面に塗られたばかりで、空気が湿っているためにその漆喰が固まっていないのだった。その上に、一方の壁には、穴蔵の他のところと同じようにしてある、見せかけだけの煙突か暖炉のためにできた、突き出た一カ所があった。ここの煉瓦(れんが)を取りのけて、死骸を押しこみ、誰の目にもなに一つ怪しいことの見つからないように、前のとおりにすっかり壁を塗り潰(つぶ)すことは、造作なくできるにちがいない、と私は思った。
そしてこの予想ははずれなかった。鉄梃(かなてこ)を使って私はたやすく煉瓦を動かし、内側の壁に死体を注意深く寄せかけると、その位置に支えておきながら、大した苦もなく全体をもとのとおりに積み直した。できるかぎりの用心をして膠泥(モルタル)と、砂と、毛髪とを手に入れると、前のと区別のつけられない漆喰をこしらえ、それで新しい煉瓦細工の上をとても念入りに塗った。仕上げてしまうと、万事がうまくいったのに満足した。壁には手を加えたような様子が少しも見えなかった。床の上の屑(くず)はごく注意して拾い上げた。私は得意になってあたりを見まわして、こう独言(ひとりごと)を言った。――「さあ、これで少なくとも今度だけは己(おれ)の骨折りも無駄(むだ)じゃなかったぞ」
次に私のやることは、かくまでの不幸の原因であったあの獣を捜すことであった。とうとう私はそれを殺してやろうと堅く決心していたからである。そのときそいつに出会うことができたなら、そいつの命はないに決っていた。が、そのずるい動物は私のさっきの怒りのはげしさにびっくりしたらしく、私がいまの気分でいるところへは姿を見せるのを控えているようであった。その厭でたまらない生きものがいなくなったために私の胸に生じた、深い、この上なく幸福な、安堵(あんど)の感じは、記述することも、想像することもできないくらいである。猫はその夜じゅう姿をあらわさなかった。――で、そのために、あの猫を家へ連れてきて以来、少なくとも一晩だけは、私はぐっすりと安らかに眠った。そうだ、魂に人殺しの重荷を負いながらも眠ったのだ!
二日目も過ぎ三日目も過ぎたが、それでもまだ私の呵責者は出てこなかった。もう一度私は自由な人間として呼吸した。あの怪物は永久にこの屋内から逃げ去ってしまったのだ! 私はもうあいつを見ることはないのだ! 私の幸福はこの上もなかった! 自分の凶行の罪はほとんど私を不安にさせなかった。二、三の訊問(じんもん)は受けたが、それには造作なく答えた。家宅捜索さえ一度行われた、――が無論なにも発見されるはずがなかった。私は自分の未来の幸運を確実だと思った。
殺人をしてから四日目に、まったく思いがけなく、一隊の警官が家へやって来て、ふたたび屋内を厳重に調べにかかった。けれども、自分の隠匿(いんとく)の場所はわかるはずがないと思って、私はちっともどぎまぎしなかった。警官は私に彼らの捜索について来いと命じた。彼らはすみずみまでも残るくまなく捜した。とうとう、三度目か四度目に穴蔵へ降りて行った。私は体の筋一つ動かさなかった。私の心臓は罪もなくて眠っている人の心臓のように穏やかに鼓動していた。私は穴蔵を端から端へと歩いた。腕を胸の上で組み、あちこち悠々(ゆうゆう)と歩きまわった。警官はすっかり満足して、引き揚げようとした。私の心の歓喜は抑えきれないくらい強かった。私は、凱歌(がいか)のつもりでたった一言でも言ってやり、また自分の潔白を彼らに確かな上にも確かにしてやりたくてたまらなかった。
「皆さん」と、とうとう私は、一行が階投をのぼりかけたときに、言った。「お疑いが晴れたことをわたしは嬉(うれ)しく思います。皆さん方のご健康を祈り、それからも少し礼儀を重んぜられんことを望みます。ときに、皆さん、これは――これはなかなかよくできている家ですぜ」〔なにかをすらすら言いたいはげしい欲望を感じて、私は自分の口にしていることがほとんどわからなかった〕――「すてきによくできている家だと言っていいでしょうな。この壁は――お帰りですか? 皆さん――この壁はがんじょうにこしらえてありますよ」そう言って、ただ気違いじみた空威張(からいば)りから、手にした杖(つえ)で、ちょうど愛妻の死骸が内側に立っている部分の煉瓦細工を、強くたたいた。
だが、神よ、魔王の牙(きば)より私を護(まも)りまた救いたまえ! 私の打った音の反響が鎮(しず)まるか鎮まらぬかに、その墓のなかから一つの声が私に答えたのであった! ――初めは、子供の啜(すす)り泣きのように、なにかで包まれたような、きれぎれな叫び声であったが、それから急に高まって、まったく異様な、人間のものではない、一つの長い、高い、連続した金切声となり、――地獄に墜(お)ちてもだえ苦しむ者と、地獄に墜(おと)して喜ぶ悪魔との咽喉(のど)から一緒になって、ただ地獄からだけ聞えてくるものと思われるような、なかば恐怖の、なかば勝利の、号泣――慟哭(どうこく)するような悲鳴――となった。
私自身の気持は語るも愚かである。気が遠くなって、私は反対の側の壁へとよろめいた。一瞬間、階段の上にいた一行は、極度の恐怖と畏懼(いく)とのために、じっと立ち止った。次の瞬間には、幾本かの逞(たくま)しい腕が壁をせっせとくずしていた。壁はそっくり落ちた。もうひどく腐爛(ふらん)して血魂が固まりついている死骸が、そこにいた人々の眼前にすっくと立った。その頭の上に、赤い口を大きくあけ、爛々たる片眼(かため)を光らせて、あのいまわしい獣が坐(すわ)っていた。そいつの奸策(かんさく)が私をおびきこんで人殺しをさせ、そいつのたてた声が私を絞刑吏に引渡したのだ。その怪物を私はその墓のなかへ塗りこめておいたのだった!